2007年01月03日

美人金持ち気だて良し

富豪の家や王侯貴族には美人が生まれる確率が高い。
というのは納得いきますね。財力や権力を手にした男は、それにあかせて美女を選ぶことができます。代々続けば次第に美貌の形質が定着していきます。

が、理論はあくまでも理論。
金持ちは盛衰が激しいから一定しないのはわかるとして、国一番の由緒正しいお家の方々が必ずしも美男美女ぞろいとは限らないという事実は興味深いものです。
とある国のプリンスはせっかく射止めた美しい王妃を捨て去り、別の人と再婚してしまいました。かの王家もどこかの国同様、もちょっと美しい遺伝子を取り入れたらよさそうに思うのですが、「見目より心」という崇高な精神に敬服いたします。

昔の少女マンガや少女小説では、お金持ちの意地悪な女の子が出てきて主人公をいじめる、てなパターンが多かったんですけど、そういう設定って非現実的だと思いませんか?
裕福なお嬢様が意地悪な性格になる必然性は薄いはずです。恵まれた環境にあれば、他人をうらやんだり妬んだりする機会もなく、おっとりと優しい人に育つものです。

『富める者はますます富む』とは聖書の中にある言葉です。
財産を持つ人はそれを元手にどんどん増やしていき、持たない人はわずかな蓄えでさえ使い果たしてしまい、格差が広がる一方なのが世の現実です。
これは金銭のみに限りません。
お金であれ美貌であれ才能であれ、持つ人は相乗効果でより高めることができます。持たざる者はただ失うだけです。

・・・

ビンボーでビボーに恵まれない哀れな庶民はどうしたらいいんでしょうねえ。ふう。
投稿 ルノ at 22:51 | コメント(0) | TB(0) | 美人論
2007年02月12日

面々の楊貴妃

ビーナスは美の女神です。美人の理想形ともいえましょう。
中でもミロのビーナスは黄金分割に基づいたプロポーションで、万人が美しいと感じる美と調和の化身だとか。
うーん、だけどミロのビーナスってペチャパイでずん胴で、現代っ子の好みには合わないような気もしませんか? 髪だって縮れすぎ。

普遍的な美人というものも存在するのでしょうが、民族、文化、時代によって美の基準はさまざまに変化してきました。また、人によって何を美しいと思うかに差があります。
自分がいわゆる美人の範疇からちょっと外れてるからって気に病むことなく、基準のほうを変えればいいのです。自分を美人だと信じれば、人生は楽しくなるし、言動に余裕が出ます。崇拝者だって現れます。

『面々の楊貴妃』は、そうした個人個人の価値観を尊重した言葉です。
自分の奥さんが一番美人だと世の夫すべてが思っていれば、夫婦円満、家庭は平和で、浮気も離婚もなく、慰謝料や裁判に使うお金を消費やレジャーに回せるので景気も浮揚することでしょう。

昔、とある人がフォーミディブルの鉢植えをプレゼントしてくれました。
フォーミディブルはデンドロビウム(蘭)の一品種で、夏に純白の花を咲かせます。画像を見たい人はイメージ検索してみてね。
フォーミディブルのイメージ検索
デンドロビュームの可憐さにカトレアの華やかさを加えたような美しい蘭です。その人が言うには清楚な私にイメージがぴったり、だとか。

おーおー。
人生にひとりくらいはそういう錯覚をしてくれる人に出会えるものです。
いじめられて自殺を考えている人、ひとまず思いとどまりましょう。生きていれば必ずいいことあるって。

そのフォーミディブル、翌年もたくさん花を咲かせましたが、ウイルスに取りつかれたらしく、次第に花弁の数が多かったり少なかったりする異形の咲き方をして、しまいには枯れました。なんだか、恋の行く末を象徴するような・・・。
投稿 ルノ at 22:22 | コメント(0) | TB(0) | 美人論
2007年03月13日

ところ変われば

いつでも誰からも綺麗だ、可愛いねと賞賛され続けて育ち、街を歩けば男女問わず振り返られる。といった状況を当たり前として生きてきた真の美人の心境がいかなるものなのか・・・想像するしかないけど、きっと心地よいことでしょう。

あまり美人でない範疇に入る人でも待てば必ず賛美者が現れることは、面々の楊貴妃で主張しました。決してあきらめてはいけませんよ。

海外に出かけて予想以上にもてた経験は、多くの日本女性がお持ちでしょう。
昔は勘違いして道を誤る女性もいたようですが、今では誰でも外国人男性とはそんなものだと心得ています。とりわけラテン系の男は、女性を見たら挨拶代わりに口説くのがエチケットだと信じているなどと、まことしやかにささやかれております。
わかっていても、彫りの深い顔立ちのヨーロッパ人にちやほやされたら、やっぱり嬉しい気分になるんじゃないですか。

若い頃ほんの一時期ですが、ロンドンで暮らしたことがあります。

英国は紳士の国。紹介されるまでは口も利かない堅苦しい人ばかり・・・といったイメージはうわべだけで、ま、ほかの国と大同小異でありますね。
こんな私でもけっこういろんな男性から誘われました。でも、単なるガールハントとは別の側面もあったのです。
知らない女性にもよく呼び止められました。「その服すてき」とか「その靴どこで買ったの?」とか。イギリスの人ってかなり気さくです。

あるとき街角で、通りすがりの男性が感嘆したように話しかけてきました。「なんと美しいお嬢さん」とかそういう意味だったと思います。
えっ、私のこと?
ぽかんとしていたら、その人はこちらがガイジンと気づき、再度ゆっくりと「あなたの顔は美しい」と言いました。
で、そばにいた日本人の女の子が私をつついて、「きれいって言ってんだから、サンキューって答えなさいよ」とアドバイス。

私は日本人の女の子たちと連れ立って歩いていたのです。客観的には彼女たちのほうが私よりもずっと美人だと本国ではみなされるに違いない立場でした。

ま、その男性はおじいさんといっていい年齢で、なにしろ奥さん同伴みたいだったから、何の下心もなかったはずです。ただ私の美しさに感動しただけ・・・?!

もしや特別にヘンテコな美意識の持ち主だったのか?
それとも、行き当たりばったりにほめたたえることで世の中を明るくしたかったのか。『サザエさん』にそういう主義のおじさんが出てきましたね。

そうではないようです。
だって、似たようなことがその後何度も起きましたもの。
ロンドンは人種の坩堝で外国人だらけですが、アジア系やアラブ系からはおおむね無視されました。
どうやら私の容貌はかなりイギリス人好みらしいのです。永住したくなったって不思議はないでしょ。その後は渡英していませんが。

なかなか美人だと認めてもらえないあなた。あなたは美しいのです。周囲の目が狂っているだけです。
世界は広い。せせこましいニッポンに見切りをつけて海外へ飛び出せば、いつかどこかで必ず絶世の美女になれますよー。
投稿 ルノ at 21:34 | コメント(0) | TB(0) | 美人論
2007年04月02日

色白は美人の条件、か

「色の白いは七難隠す」といいますね。色白でさえあれば、かなりの欠点でも目立たないってこと。

逆に「たどんに目鼻」は不美人の形容です。色が黒いだけでこの違い。不公平ですね。

根源的なつっこみをしますと、「色白」とは「肌の色が白い」ことです。「白い肌」の形容には「透き通るような」「抜けるような」「雪を欺く」などがありますが、いずれも誇張表現です。実際に「真っ白」や「透明」な肌が存在したら不気味です。
アルビノなど色素が欠乏する病気ではほんとうに白い肌になりますが、血管が透けたりして「純白」というわけにはいかないでしょう。

どうして人はそれほど白い肌に憧れるのでしょう。
理屈抜きで白を黒よりも美しいと見なす感受性が、長い歴史の中で培われてきたようですね。
罪のない状態を「潔白」「シロ」といいます。モノでも泥や汚れがつけば黒っぽくなります。黒は汚い状態を示すことが多いのです。ホコリが積もって汚れると白っぽくなりますが、概して黒い汚れに比べて「軽い」というか「落ちやすい」って印象。

しかし肌の色の種類はさまざまです。
一律に白い肌をもてはやすのはおかしいと思いませんか。

西欧人がアフリカ人を虐げ、奴隷として売買したのはそんな大昔ではありません。肌の色だけで人を差別する傾向は今でもすたれておらず、相当数の「白人」の意識に根付いています。我々黄色人種もしばしば差別の対象となるのです。
「美人=色白」という図式と人間の愚かさは奥底で通じていると断言しておきましょう。

植物色素のポリフェノールは体にいいと話題になりますが、ポリフェノールとメラニン色素は似たようなものです。植物の中には紫外線から身を守るために濃い色でバリアを張るものがあります。人の肌が日焼けで黒っぽくなるのも防御反応です。
色白の肌はどうしてもシミ・そばかすができやすく、また敏感肌で悩む人も多いようです。黒い肌のほうが優秀なのですよ。

色白にこだわらずに人の容貌を観察すると、小麦色や浅黒い肌の美人が大勢いること、単に生っちろいだけの美人よりも生き生きとして精彩を放っていることに気づくでしょう。
投稿 ルノ at 23:06 | コメント(0) | TB(0) | 美人論
2008年03月31日

赤ちゃんはみんなかわいい

『子犬の選び方飼い方図鑑』(西東社)という本には、たくさんの子犬の写真が載っていて見飽きません。
もっと子犬を探求しようと『私の子犬カタログ』(双葉社ムック)を買ってきました。これにはアップの写真がいっぱい。

いやあ、子犬ってかわいいですねえ。大きくなるとへちゃむくれの犬でも、赤ん坊は愛嬌たっぷり。
ぬいぐるみは子犬専門で作ることにしようかしら。成犬になってからのほうが犬種の特徴が出るので、ぬいぐるみとしては作りやすいんですけどね。

子犬と親犬を比べていて、面白いことに気づきました。
概して子犬は顔の大きさに比して耳や目がとっても小さいのです。鼻も小さいけど、割合からすれば耳ほどの差はないようです。

ポメラニアンの子犬など、顔の中央に目鼻がちょこんとついていて、小さな三角耳はふわふわの毛に埋まっています。成長すると目はくるっと大きくなって、耳もピンと立ちます。
大きな目の動物はおとなでもかわいいのですが、子犬はその小さな目ゆえに、もこもこした子犬らしさが際立ち、よけいキュートです。

猫に目を向けますと、子猫の目や耳は顔に対して大きめです。成長につれて目や耳の割合は小さくなり、均整の取れた猫らしい容貌になっていきます。
子猫はこの大きな目や耳が子猫っぽくてかわいいんですよね。

猫が大きな目や耳を持って生まれてくるのは、彼らにとって目と耳が重要な器官だからだと思います。
その点、犬は嗅覚が鋭いから鼻は大切だけど、視力や聴力はさほど発達していませんね。人間には聞こえない波長の音を捉えるそうだけど、それは他の動物にも当てはまります。垂れ耳の犬が多いこと自体、聴力軽視の現れです。

さて、ほかには?
馬の赤ちゃんはメチャクチャ脚長です。もともと馬は脚が長いんだけど、サラブレッドの仔馬ときたら全身これ脚って感じ。見るからにアンバランスで危なっかしいのですが、その頼りなさがまた可愛いのかな。
図体のわりにか弱い草食動物は、生まれてすぐに歩けないと肉食動物に襲われます。馬にとって最重要パーツは脚なのです。

馬と違って人間は生後1年も経たないと歩けません。赤ん坊は頭でっかちで、足なんか短くてがにまたですよね。
それが人間の赤ちゃんのかわいらしさであります。

もう私の言いたいことはおわかりですね。

人にとって一番大切な部分は頭です。
ファッションショーを彩る、八頭身・九頭身の小顔モデルたちを見て、かっこいいなあ、うらやましいなあとため息をついているあなた、小さな頭と長い脚は人間として劣った体型なのですよ。
これからの世は、短足六頭身debuがもてはやされるようになるでしょう。

っておい、わけのわからん説をぶち上げて、なんだかやけっぱちになってないか?
投稿 ルノ at 22:19 | コメント(2) | TB(1) | 美人論